就活のエントリーシートを書いているとき、頭の中で親の声が先に走ります。「この会社だと安心だよね」と、自分の言葉より先に聞こえます。
周りが大学へ行くなら大学へ、周りが有名企業を狙うなら同じリストを開く。選んだ道は、外から見ればきちんと「正解」に見えます。なのに、自分の物語を生きている感じがしません。
Coelia代表の小幡十矛です。石川県から東京に出てきました。私も、かなり長いあいだ、周りの価値基準で生きてきましたという自覚があります。
Coelia代表・小幡十矛が、なぜCoeliaを作ったのかを書いています。なぜCoeliaを作ったのか
人の目を気にするのは、他人のためではなく自信がないだけのことが多い
「親の期待に応えなきゃ」「同期からどう思われるか」。意思決定の基準に、他人の解釈が入り込むことはよくあります。特に日本では、「自分の人生は自分の自由」より「人からどう見られるか」「迷惑をかけないか」のほうが先に来やすい。職場で相手を変えずに自分の消耗だけを減らす距離の取り方は、職場に疲れた日の、境界線の引き方にまとめています。
でも、みんなが「他人のために生きたい」と思って動いているわけではないと思っています。自分の価値基準で成功を決め、その選択肢を選んでくださいと言われても、よくわかりません。決められません。
周りが反対すると、自信がなくなります。「ヨーヨーでチャンピオンになるのが人生の成功です」と思っていても、全員が首を横に振ると、自分の物語を信じきれなくなります。他人のために合わせているのではなく、自分の物語の主人公として選ぶ自信がないだけ、という側面のほうが大きいのではないかと考えています。
私もそうでした。周りが大学受験をしているから受験しました。大学時代、インターネットにハマったら、周りがたまたまサービスを作るような人たちばかりになり、そっちの道へ行きました。リクルートに入ったら、みんな起業を考える人たちだったので起業しました。振り返ると、選ぶ基準の大半が「周りがそうしているから」でした。
周りと同じ道でも、物語が違えば「王道」の意味は変わります
ここで、よくある誤解を先に外します。「みんなと同じ道を選ぶのはダメ」という話ではありません。大学に行くのも、大企業に入るのも、「自分はこういう物語だから、この道を行く」と自分で解釈して選んだのであれば、それは立派に自分の物語になります。
まずいのは、道の中身ではなくて、選ぶ基準を他人の解釈に丸投げしてしまうことのほうです。
たとえば、私が金沢の工業高校でロボットコンテストの全国大会に出場していたころ、地元に残ってものづくりの道を続けるのが「一番の勝ちパターン」に見えていました。同級生から見れば、大学へ進んでインターネットの世界に入り、のちに起業するのは少し変わった道です。むしろ、全国大会のあとに地元を離れてまったく違う業界へ進むほうが、周囲からは珍しがられた。
一方、リクルートに入ったあとは、周りが起業を考える人ばかりでした。そこでは起業がその物語の中では王道に見えます。
つまり、同じ行動でも、その人がどういう物語の中にいるかによって、「順当な道」なのか「変わった道」なのかが入れ替わります。道そのものに王道と邪道があるのではなく、その人の物語が決めていますのです。
| 見え方 | 他人の物語の登場人物として選びます | 自分の物語の主人公として選びます |
|---|---|---|
| 選ぶとき頭に浮かぶもの | 親の声、同期の進路、職場の空気 | 自分がこの物語で何をしたいか |
| 道が「正解」に見える条件 | 周りの多くが同じ道を選んでいます | 自分の物語の続きとして自然 |
| 失敗したときの感じ方 | 他人の期待を裏切りました | 自分の戦い方で負けた(戦い方への後悔は別) |
| 疲れの正体 | 観客の数が多すぎます | 主人公の台詞が少ない |
他人の成功物差しで選ぶと、確度は上がります。ただし主人公が自分ではありません
ここは複雑です。他人が良いと思う選択肢を取ると、他人が成功だと思う状態に到達しやすいです。周りも同じ価値基準で動いている環境では、それが「正解」に見えます。
大学受験をきちんとやって、就活をやり抜いて有名企業に入った人が多い場所では、それが成功として称されます。選択肢の基準も、成功の基準も、どちらも他人が決めた価値基準です。ある意味では「自分の物語を生きていない」ことにもなります。
起業したあとも同じでした。「資金調達をするものです」「たくさんお金を集めて人を雇うものです」というセオリーを周りから学び、「そういうものなんだなあ」と受け入れて動いていました。王道は、周りによって決められるものでした。
私は、自分のやりたい戦い方でゲームをして、負けた。それだけのことです。戦い方に反省はしていません。やりたかったからです。別の戦い方をしろと言われたら、たとえ勝つ確率がそのほうが高かったとしても、最初からゲームしていませんでしたはずです。
世間の認識と自分の認識を、無理に合わせなくてよい
世間の認識と自分の認識を合わせる必要はないと思っています。人間はそれぞれ、自分のドラマを生きています。認識を合わせましょう、自分を変えましょうと言われるとき、多くは得だから、つまり損得で人生のドラマをやれと言われているに等しいです。
損得で人生のドラマをやっているわけでも、世間の他人のためのドラマでもありません。本当の観客は自分ひとりしかいないドラマを、人間はみんなやっていますのだと思います。他人がどう思うかなど、関係ありません。
では、つながりやイベントはどう選べばよいのでしょうか。私がやめたのは、他人の成功物差しで場所を選ぶことです。「有名企業の人が集まる交流会」「就活で強いと言われるコミュニティ」。正しそうに見えるから行きます。行っても、主人公の台詞が1つも増えません。
置いたのは1つだけです。自分の物語で「2回目に行けるイベント」を1つ持つこと。連絡先を集める場所ではなく、戻れる居場所を選ぶ話は別の記事に書きました(連絡先より、戻れる居場所を探す話)。参加するイベントの数を増やすのをやめた話はこちらです(社会人の友達作りで、参加するイベントを増やすのをやめた)。
観客が自分ひとりなら、戦い方は自分で選んでよい
欲しかったのは、他人に正解と言われる人生でした。手に入れたのは少し違って、観客が自分ひとりのドラマを、選び直せる余白です。
周りと同じ道を歩いていても、選ぶ基準を自分の物語に戻せば、それは自分の物語になります。逆に、誰とも違う道を選んでも、基準が他人のままなら、主人公は自分ではないままです。
観客は自分ひとり。だから戦い方は、自分で選んでよい。
ひとりで行くのが不安なら、運営が同席している場所を選んでほしい。他人の成功自慢で盛り上がるような集まりではなく、自分のペースで過ごせる進行にしています。話さなくてもいい回があって構いません。
人の目を気にして疲れたとき、先に押さえる3点
「人の目を気にする 疲れた」で検索してきた場合、止まるのは性格の弱さより、選ぶ基準が他人の解釈のままになっていることが多いです。ここまで読む前に、見方の型だけ先にまとめます。
- 重い理由:親の声・同期の進路・職場の空気が、意思決定の前に入ってくる
- 置き換え:道が正解かどうかではなく、選ぶ基準が自分の物語にあるかを先に見る
- 具体案:場所を選ぶときは他人の成功物差しではなく、自分の物語で2回目に会える場を1つ持つ
戻れる場を探す話は連絡先より、戻れる場を探す話にまとめています。
よくある質問
周りと同じ道を選ぶのは悪いことですか?
悪いことではありません。大学に行くことも大企業に入ることも、自分の物語だからと自分で解釈して選んだなら、それは立派に自分の物語です。まずいのは、道の中身ではなく、選ぶ基準を他人の解釈に丸投げすることです。
人の目を気にしすぎるのは、性格の弱さですか?
弱さだけでは説明しきれません。周りも同じ価値基準で動いている環境では、他人の成功定義に沿った選択のほうが確度が高く見えます。自分の価値基準で成功を決められないとき、みんなが選ぶ道が安全に見えるのは自然なことです。
自分らしく生きるには、周りと違う道を選べばいいですか?
違う道を選ぶことが目的ではありません。観客は自分ひとりしかいないドラマを生きているなら、戦い方は自分で選んでよい。直すのは道そのものではなく、選ぶ基準の置き場所です。
ひとりでイベントに行っても平気ですか?
ひとり参加を歓迎しています。入り方に迷ったときは、その場で運営へ一言ください。運営が同席しているので、他人の成功物差しで盛り上がる場ではなく、自分のペースで過ごせます。
会社の同期と進路が違っても大丈夫ですか?
大丈夫です。同期とうまくいっている関係は大事にしてよい。会社の外にもう1つ、自分の物語で選んだ場所があると、片方が忙しい時期でも会う場所は残ったままになります。




